2015年9月2日

第82巻 「新しい東京」

第82巻 「新しい東京」
永井保著 1965年刊行

昭和40年オリンピック後の開発された東京の姿を紹介しています。その風景からは、あまりにも前向きでそれを「破壊」とは気づいていない時代の風潮が感じられます。
「新しい」というタイトルの通りオリンピック後の開発された東京の姿を追ってはいますが、私の生まれた目黒もそうですが、昭和40年当時はまだまだ戦前までの面影を残した風景も多く、江戸だけではなく、懐かしい東京ががこの本の面白さではないでしょうか。




大正4年東京下町生まれの著者は関東大震災前の東京も知っている世代ですが、東京オリンピックのための開発で変貌した東京の姿に戸惑いを表しています。
「いま東京見物に上京する若い人から、印象に残る東京の名所を聞くと、おおかたの人は東京タワー、銀座、羽田空港の名をあげるそうだ。東京を故郷としている者には、いささか不満な点もあるが、外側から眺めると、これが新しい東京なのかもしれない」


この代々木の国立競技場が建設された当時東京は現在のような閉塞的な状況ではなかったように思います。広い土地もまだあちこちに残っており、山手地区では、夏でも夜はクーラーがなくても眠れ、二階建ての家の窓から富士山が見える環境でした。


銀座のネオンサインは日本の企業の名前ばかりです。晴海通りを進むと東銀座に出ますが、昔は木挽町という町名だったのが東銀座に変更されてしまったことを著者は嘆いていますが、情趣に富んだ町名が、味気ない名前に変更されたのもこの時代からです。


江戸文化の象徴でもあった日本橋は、高速道路の下に入りなんとも見苦しい光景となってしまいました。
「これ以上、東京の顔を汚し鼻をもぎ取るようなことはしないでもらいたい。ここに日本の中心を示す里程標があることをお忘れなく」



後半は台東区、墨田区 江東区などの下町地区が紹介されています。ここに最後の江戸文化の名残を感じることができます。戦災の壊滅的打撃から再現された浅草寺や六区の寄席の看板、見るからに下町風の服装をした格好の良い人が写った写真に、度重なる困難から立ち上がり街を守ってきた庶民の強さにこそ希望があると教えられます。










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